福田あれこれAbout

当社は江戸時代中期の元禄期に金銀箔粉の商いをはじめ、その後二百年ほどは金箔やその粉を商ってきましたが、現在では銅を主原料とする非鉄金属を中心に自動車、エレクトロニクス・電子材料、ITを初めとする様々な分野への原料製品を各種金属箔粉の形で供給しています。

元禄13年、赤穂浪士討ち入りの二年前に京都松原室町の地で福田鞭石が金箔の商いを始めました。
鞭石は当時52の齢であり、実際にはその数十年前から商いを始めていたようですが、記録として残っている資料の年代から創業の年を元禄13年(1700)とさせていただいています。

江戸時代には多くの近江商人が京都を含めた全国津々浦々へ進出していましたが、鞭石も同様に東江州出身の父を持つ人物でした。その後、二代目練石は商いを継ぎ家憲を著し、商いの基盤を固めて現在まで継承しています。
鞭石、練石は一般的に名前を知られた人物ではありませんが、商いの傍ら俳諧師としても活動しており、当事の俳諧古典籍に名を散見する事ができます。

さてその鞭石の創業から始まる200年程の商いは屏風や蒔絵、仏壇仏具といった伝統工芸品に使う「金銀箔」や、その切れ端を再利用して作成する「金泥」と呼ばれる金ペーストなどの商いが主な商売内容でした。 残された江戸末期の鑑札からも分かる様に当時、金銀箔粉の商いは幕府の認可が必要であったようです。

江戸時代から明治に入り、製造工程も手作業から徐々に動力化するなどして近代化の兆しがありつつも、昭和初期の商品案内には、未だ事業内容を「金銀諸箔鈖金屏風商」としていた事から、まだまだ装飾用途が多くを占めていた事が分かります。 当時の取り扱い品目は「金銀諸箔鈖消」「金屏風類」「金銀諸箔押紙」「金銀糸」「印刷用金銀色銅粉」「包装用錫金具」「歯科用金箔」「金版用色箔」といったものでした。

明治初期の京都松原本店

明治に入ってから、本社は京都松原にそのまま残して製造の場を京都山科に移しました。
その頃から機械化・動力化の助けもあり、徐々に金銀箔以外の様々な金属種も手がけるようになりましたが、その一方で昭和20年頃には当時の社会情勢から当社の金箔製造は節目を迎えています。

同様に金属粉も明治に入って金粉から搗砕法による真鍮粉への製造へと変遷し、印刷用途に多用されるようになりました。
搗砕法をはじめとする真鍮粉は当社の工業製品のなかでは現在も製造が続く百年を越えるベストセラー製品郡の1つです。
続く昭和初期に開発された日本初の電解銅粉も同じく現在も続く工業製品のひとつとなっています。

その後、戦前戦後を含めた開発の中で、数多くの学術的な支援と社内外での尽力を得て上記と同じく現在でも主要製品郡である電解銅箔やアトマイズ粉末製造の工業化を軌道にのせる事で規模を拡げてきました。

作務衣を着て行うような作業が今日では無塵服に替わられるなど多々変遷はありましたが、永らくご愛顧いただいている製品群も含め様々な金属種や業界に対応させていただく中で、今では自動車産業、エレクトロニクス産業、そしてIT産業を初めとする多様な分野でご使用いただいています。

今も昔もこれからも、我々は変わらぬ姿勢で新しい箔と粉を追い続け、皆様の生活の一助となるべく勤めてまいります。

以上、少しでもご興味を抱いていただきましたら、当社の沿革、製品の用途、金属種などといった情報も下記リンクからもご覧ください。